再びデリー〜アグラ

ラジダーニ・エクスプレスは、ほぼ定時にニューデリー駅に到着した。
数日前に歩き慣れたメインバザールの道を真っ直ぐに進み、交差点を右折し、舗装されていない路地を100メーター程歩く。  ウッパハール・ゲストハウス一階のクッキー屋を覗くと、ターバンのおやじはニッコリとした。 私の事を覚えてくれていたようだ。

------------------------

翌朝はかなり早起きしてニューデリー駅に向かった。
早朝に出発するタージ・エクスプレスという特急に乗ると、約3時間でタージ・マハールのあるアグラに到着する。  夕方にアグラを経つ復路のタージ・エクスプレスと併せて利用すれば、アグラの町を十分に観光できるだろう。
駅前の果物屋でバナナを一房買い込んで、タージ・エクスプレスに乗り込んだ。 1等の座席ながら、運賃は片道500円程度だ。

隣の座席には、大学の農学部で教授をしているという初老の紳士がいた。 共同研究で大阪府立大学の農学部を訪れたこともあると言う。  彼に、「率直に言って、インドの米と日本の米はどちらが美味しいと思うか?」と尋ねてみた。  教授曰く、やはりインド料理の材料の材料としてはインド米が美味しいとの認識だ。
車掌が回ってきて、アグラの一日バスツアーのチケットを勧めた。 このツアーは、タージ・エクスプレスの往路便と接続して出発し、復路便に接続できるタイミングで駅に到着するようになっており、アグラ城とタージ・マハールの入場料、昼食も込みとのこと。
正直、アグラでの個人移動はトラブルが多そうだなと考えていたので、1日バスツアーに参加してみることにした。

アグラ・カント駅にて係員に整理券を渡すと、一台の観光バスに案内された。  私ともう一人日本人を除いて、他の乗客は全てインド人の家族旅行だ。
午前中はアグラ城を観光する。 駅からはかなりの距離なので、もしオートリキシャーで個人移動していたなら、かなりボラれた可能性もある。  バスツアーは、意外に安上がりな選択だったかも知れない。
アグラ城はムガール帝国の皇帝アクバルが作った城であり、赤褐色の岩石が特徴的だ。 中庭は碁盤の目状になっており、女性を駒に見立ててチェスを楽しんだと言う。
これだけだと単なるエロ親父なのだが、イスラム教徒である彼は、ヒンドゥー教徒の妻を嫁とり、イスラムとヒンドゥーの融和に大きく貢献した。
インド人ガイドの説明は英語であるのは当然なのだが、インド人観光客がガイドに質問する時にも英語を使うのが不思議だった。  同じインド人なのだから、ヒンドゥー言を使ってもいいとは思うのだが、外国人の私に対する気遣いなのか、単なるカッコ付けなのか・・・

昼食はホテルのレストランでカレーバイキングだ。 原則として家族単位で1テーブルを利用している。 彼らを観察していると、興味深い事に気が付いた。 肌の白さと、妻のサリーの美しさと、スプーン利用の有無、の3つには相関関係があるようだ。  すなわち、色の白い家族の妻は綺麗なサリーを着用しており、カレーをスプーンで食べる率が高い。  逆に、色の黒い家族の妻は粗末なサリーを着用し、カレーは手で食べる率が高い。
経済状況や地域性の影響が大きいだろうが、カーストというやつも絡んでいるかも知れない。

------------------------

午後は、いよいよ念願のタージ・マハールの観光だ。
入り口の門をくぐると大理石の巨大な建造物が出現した。

「タージ・マハールだ」

何なんだろう、この不思議は感覚は。 「感動した」と言うより、「納得した」した感じだ。
想像していたより大きかった事を除けば、写真やテレビからのイメージに、実物が完全にフィットした感覚だ。  想像していたものと寸分の狂いもない建物が出現し、頭の中のジグゾーパズルのピースが完全にはまったとでも言おうか。
あまりにも有名で、あまりにも完璧に近い建物は意外に感動しないものなのだろうか・・・

タージ・マハールは皇帝シャー・ジャハーンは亡き妻のために建てた墓である。 その莫大な建築費は、ムガール帝国の財政を破綻させた。  亡国の皇帝は、実の息子の謀反によってアグラ城に幽閉された。 ヤムナー川対岸の愛妻が眠るタージ・マハールを眺めながら、寂しい晩年を過ごしたという。
タージ・マハールの地下には、大きな妻の棺の横に、小さなシャー・ジャハーンの棺が添えられている。  愛する妻と並んで、「究極の愛の巣」に埋葬されているのだから、彼もさぞかし本望だろう。

バスツアーの最後は、インドスイーツの名店らしき所に立ち寄った。 インド人家族は我先にと殺到し、多くの土産を買い込んでいる。  経験上、日本人の舌には死ぬほど甘いであろう事は容易に想像できたので、私は遠慮することにした。

------------------------

ウッパハールGHの住人は、さすがに大部分が入れ替わっていた。
隣のベッドの住人は山田さんという20歳の女性。 東京の下町にある老舗店の娘である彼女は、高校を卒業してからインド周辺国を放浪しているらしい。  何故か気が合った彼女とは、残り少ないデリー生活での良き相棒となった。

「花と棘」(インド名:Phool Aur Kaante)というインド映画が流行っているということで、山田嬢と観にいくことにした。 4時間程の長い作品で、途中休憩も入る。  台詞はヒンドゥー語ながらストーリーの理解には全く問題無かった。 非常に分かりやすい内容なのだ。
前編は学園ドラマであり、主人公が歌と踊りでヒロインをひたすらに口説き続ける。  彼らの恋は成就し無事に結婚と、前半は無事にハッピーエンドに終わった。  インド人の観客はまるでコンサートのように、スクリーンに向けて声援や拍手を送っていた。

休憩後の後半の展開は、うって変わってアクションヒーローものだ。
主人公の父親には実は裏稼業があった。 父親の裏の顔はギャングのボスであり、対立する組織に、生まれたばかりの主人公の幼子を誘拐されてしまう。  愛する我が子を救い出すために、なんと主人公はランボーに変身するのだ・・・
とんでもなくハチャメチャなストーリーなのだが、単純に娯楽に徹した作品は十分に楽しめた。  観客は折角お金を払って見に来ているのだから、貧しきリアリティーよりも、空想の世界の豊かさを見せて欲しいのだろう。
高度成長期の日本にも同じような作品が多かったんだろうなと思う。

------------------------

ドミトリーに虚ろな目をした住人がいた。 彼に興味を抱いた山田嬢は3人での食事に誘おうと言い出した。
東北大学の学生である彼は、かなりインドに埋没しているようだ。  数多くのドラッグを試したという彼の体験談に、二人は聞き入った。
インド西部にあるヒッピーの聖地ゴア、彼はそこでのマリファナパーティに参加したという。  砂浜に百人以上が輪になり、一斉にマリファナを始めると、全員から魂が抜け出し上空で融合する様が見えたという。
LSDを初めて試した時の話も聞いた。 友人と二人で服用してしばらく天井を見上げていたら、藤で編まれた天井が無数の蛇に変化したという。  その時、友人は彼に向かって「天井は蛇だな」と呟いたとの事。 2人の目には同じものが見えていたのだ。
また、ベッドの脇にあるバラを見つめると、バラの赤さが心に突き刺さってきて、涙が止まらなくなったとも言っていた。
彼の経験は我々には幻覚とした思えなかったが、彼の認識はこうだ、「ドラッグによって感覚が研ぎ澄まされて、見えていなかったものが、見えるようになっただけ」だと。

インド最後の夜は、山田嬢と酒盛りをすることにした。 インドでは飲酒は道徳上問題があるため、決して非合法ではないにも関わらず、酒店は裏通りでひっそりと営業している。
ジャンパトホテルの一室で、インド産の白ワインを一口含んだ途端、二人は顔を見合わせて笑いが止まらなくなった。
不味い、半端な不味さではない、とにかく不味いのだ。 あまりの不味さに笑うしか無かった・・・

翌日、山田嬢と最後のランチをし、お別れを言った後、空港バスでインデラガンジー空港に向かった。
大阪行きと東京行きの便がほぼ同時刻に出発するので、チェックインカウンター前は日本人で溢れていた。  お忍び旅行だろうか、目の前には若い女性を連れた俳優の榎木孝明も立っている。
インド到着時には、ここで不安で怯えていた自分がいたんだなと振り返ってみると、一皮剥けた気がした。

------------------------

インドにはまる人と、はまらない人で極端に評価が分かれると言われるが、私は確実に前者に分類されるだろう。  だとしても、一体、私はインドの何にはまったのかを、うまく説明できない。
インドの文化に感銘を受けた訳でもないし、人生について何かを悟った訳でもない。
もしかすると旅行先はインドである必要すら無かったかも知れない。

ただし、ウッパハールGHやクミコハウスの連中との出会いは、私にとって非常に大きなものであったような気がする。
一つ言える事は、ドミトリーを泊まり歩いた日々は、今までの人生で最高に自由だった上に、最高に無責任でいられた。  言わば「モラトリアムの楽園」の地を、たまたまインドで過ごしただけかも知れない。
そうであれば、往路の香港で全てのガイドブックを失った出来事は、むしろ幸運な方向に私を導いてくれたことになる。

離陸後、窓から見えるデリーの夜景を見ていると、涙が溢れてきた。
3日後には社会人となる自分にとって、子供でいられた最後の地への惜別の涙かも知れない。


Google
 
Web backpacking.nobody.jp