カルカッタ(コルカタ)

ハウラー駅を一歩出ると、今まで感じたことの無いような空気に包まれた。
乾燥した内陸地に体が慣れたからかも知れないが、まるでローションの海にいるが如く空気がネバーっとしているのだ。   少し歩くと、体にまとわり付いた空気の軌跡が見えるようだ。
高温多湿は大阪で慣れているつもりだったが、カルカッタの気候には閉口した。

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カルカッタに詳しいという大阪府立大生とタクシーをシェアする。 行き先は安宿が集まるというサダルストリートだ。
順調に走っていたかと思われたタクシーであったが、突然タイヤがパンクした。  運転手は車を放棄し、違うタクシーを拾うと、自らも助手席に乗り込んだ。  いざ料金を払う段になって、彼らは2台分の料金を要求した。 んなアホな。 もちろん1台分の料金を渡し、「シェア!」と叫んで、車を後にした。
それ以上しつこく付いて来る事は無かった。 無茶苦茶な要求でも一応言ってみるのが、インド人の性なのだろう。

大阪府立大生に付いていくと、1軒のドミトリーに入っていった。 彼はここでも良いかと聞く。
ルームシェアと違いドミトリーなので、彼と同じ宿に泊まる必要は無いのではあるが、他の宿を探すのが面倒だったので宿泊を決めた。
しかし、デリーに比べても宿泊料金は高い。 ドミトリーなのに300円以上はする。  日本に比べたら破格の廉価なのだろうけど、インドの物価に慣らされた身にはボッタクリに感じる。
我々以外の客は全て西洋人だ。 考えてみれば今まで全て日本人宿に泊まっていた訳だから、違和感を感じる。

我々宿の近くには、安宿で有名なサルベーションアーミー(救世軍)がある。 偶然にも大学の同級生が宿泊していたので、 状況を聞くと、ベッドの確保は至難の業であるらしい。 宿の需給バランスから言っても、カルカッタの宿泊料金は相対的に高いのだろう。

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高温多湿の粘っこい空気と戦いながらも、2泊3日の間、カルカッタの観光地を徘徊した。  カルカッタには路面電車が整備されており、地下鉄も開通していたので、公共交通機関での市内移動が簡単だった。  リキシャーワーラーとの値段交渉とほとんど無縁であった。
カーリーガートの生贄の山羊、動物園のホワイトタイガー、インド国立博物館の細密画、オベロイグランドホテルのティータイム、 有名な観光スポットを回ってみた。 確かに面白いのだが、何かが物足りない。 この最悪の気候のせいなのか・・・
ひょっとしたら、泊まっているのが日本人宿では無いからかも知れない。 西洋人は完全に個人主義でお互いの係わり合いは最低限だった。  仮に彼らと行動を共にしたとしても、私のつたない英語では、表面的なコミュニケーションしか出来ないだろう。
今までの行程では、町に魅力を感じたというより、旅行者同士のコミュニティに魅力を感じていた部分が大きかったのが、 カルカッタのこのドミトリーには、私が期待するものが無かったのだろう。

そんなカルカッタであったが、食事は今までのどこの町よりもレベルが高い感じがした。 リットンホテルではビーフステーキが食べられたし、 グレートイースタンホテルのインドレストランも美味であった。
特に地域的な特徴なのか、華僑が経営する中華料理は店数も多く、味も満足できるものであった。  ムガール帝国時代のイスラム経の影響で、インド人は豚肉を敬遠するようであるが、カルカッタでは普通に酢豚を食べることができた。
最も印象的だったのは、インド博物館前に出店していた、インド人夫婦の「あんかけ焼きそば」屋台だ。  屋台に山盛りにされた麺を、夫が手掴みで皿に盛り、サリー姿で中華鍋を振るう妻が八宝菜をトッピングしていく。  夫婦の幼子が遊び半分で、水溜りとバケツが渾然一体となった場所で皿を洗っている。
日本人の衛生感覚からすると恐るべき状況ではあったが、感覚が麻痺した私は食欲には勝てなかった。 味は非常に満足のいくものだった・・・

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インドでは破れた紙幣は受け取ってもらえない。 本来はお札を受け取る際に十分に注意して、破れた札は突き帰すくらいの意識が必要なのだが、 結局ババは不慣れな外国人旅行者が掴まされることになる。
不幸にも私の財布には破れた100ルピー札がある。 何度か破損箇所を巧妙に隠して渡そうとしたものの、百戦錬磨のインド人をには通用せず、ことごとく付き返されていた。
破れた札を利用する唯一の方法は、インドの中央銀行(日本では日本銀行に相当する)である、インド準備銀行(Reserve Bank of India) の窓口に出向き、新札に交換してもらうことである。

インド準備銀行カルカッタ支店には、私と同じように新札への交換をしようと、百人以上が列を成している。  1時間弱並んで、ようやく窓口が近づいて来た時になって、私の札を見た周りのインド人が、口々に私に向かって何かを言っている。
理解できない私に対して、彼らは自分の札を見せた。 彼らの札は欠損部分が白い紙で補修されているではないか。  どうやら、「新札には交換したかったら、自分で補修して来い」と言いたいようだ。 
無駄だ。 偽札防止の意味もあるかも知れないが、この国は何て非生産的な作業を庶民に強いるのだ。  インド国鉄の職員といい、この国の公務員には官僚的な思考が染み付いているんだなと悟った。
あまりの馬鹿馬鹿しさに、新札の交換を諦めて立ち去ろうとすると、一人の老人が声を掛けてきた。

「20%引きでいいかな?」
公務員に無能さにも関わらず、この国の庶民はしたたかだ。

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カルカッタで2泊した後、インド国鉄が誇る豪華特急「ラジダーニ・エクスプレス」でデリーに引き返すことにした。
デリーまで丸一日の旅である。 通常の特急料金よりもかなり高い値段設定になっているが、 車内で供される3度の食事とティータイムの料金が上乗せされているとのことだ。

出発時刻までには時間があったので、エアインディアでリコンファームした後、マザーテレサの家を訪問してみた。
恐る恐る扉を開け内側を覗くと、私に気付いたスタッフが私を手招きする。  中に入ってみたい衝動もあったが、単なる好奇心で訪問した私が入るのは、流石に気が引けた。  軽く一礼をしてその場を立ち去った。

ラジダーニ・エクスプレスの乗車口には、コンピュータ出力された乗客名簿が貼り出されている。  私が利用するのは、4人部屋の個室寝台だ。
ルームメートは日本人(東北大学の学生)とインド人の老人が2人。  二人の老人は我々日本人の小汚い服装を一瞥すると、蔑んだような表情を見せた。
当然の反応だろう。 7千円程度の金額は日本人にとっては大したことは無いが、インドの物価で考えると、とてつもない金額である。 ここいるのは選ばれし乗客であるはずなのだから、それなりの身だしなみをすべきであろう。  私に非があるのは明白であるが、まともな服装など持ち合わせてはいない。 老人の冷たい視線を気にしつつも、豪華列車での生活を満喫することにした。
かなり大きなベッドで寝心地は満点であったが、車内の食事はそれ程美味しくは無かった。


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