マカオ(澳門)にてカジノ三昧?※デジカメ画像を紛失したので、写真はありません m(_ _)m 「南北酒店」で目を覚ますと、もう8時を回っている、日本時間だと既に9時を回っていることになる。 働いている同僚の姿を想像して、妙に優越感に浸ってしまう。朝食を探して、ジョーダンロードを東に歩くと「粥」の文字が。 ここは「郷に入れば郷に従う」ということで、 中国の伝統的な朝食にチャレンジすることにする。 相変わらずの漢字の羅列であるが、 恐らく、干し貝柱などでダシを取っているのだろう。 そう言えば、街中には乾燥魚介類を売る店が多数あり、
特に干し貝柱は日本産を売りにしているものが多い。 香港での日本のイメージは海産物国なのだろうか・・・
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朝食も終わったことだし、今日の目的地を考えてみる。
香港に来る前から、絶対に行こうと思っていた所、それはマカオ(澳門、Macau)である。 香港とマカオ間にはジェットフォイルの高速フェリー(ターボジェット)が就航していて、一番便利な交通機関らしい。
マカオフェリーのターミナルへのアクセスは地下鉄の上環駅が一番近いとのことである。
早速地下鉄を乗り継いで、フェリーターミナルへ。
服装はTシャツと短パン、しかも手ぶらである。 少しマカオをなめすぎているも知れない。 エコノミークラスが145HK$で約45分の船旅である。
チケットを購入し搭乗ゲートをくぐる時に、後ろを振り返ってみると「おお!」 搭乗ゲートを超えてしばらく歩くと、イミグレーションが現れる。 97年に香港、99年にマカオがそれぞれ中国に返還 され、同じ国になったのだが、一国二制度の下に出入国は未だ外国扱いとなってる。 少し不思議な感じだ。
*********************************************** 11時のフェリーに間に合ったので、正午ちょうどにマカオに到着予定だ。 船は飛行機のような雰囲気で、座席の前の網には飛行機のような「安全のしおり」やゲロ袋も差し込まれていた。 さすがにシートベルトの着用義務は無かったが・・・ 外洋も穏やかであり乗り心地はなかなかのものだ。 マカオ側のフェリーターミナルは、ちょっぴりさびれた田舎の駅って感じだが、なんとなくトロピカルな感じが悪くない。
鉄道の類は存在しないので、マカオ内の移動はバスかタクシーとなる。
タウンウォッチング派の私はとりあえずは歩いて町中に向うことにする。 町中は閑散といよりも人っ子一人いない感じ。 香港同様に巨大なビルやホテルがそびえ立っているのだが、
何となく虚脱感を漂わせている。 しかもやたらと道路が広い、6車線くらいはあろうか。 30分も歩いただろうか、金きらのちょっとレトロな不思議な建物が姿を現した。 これぞ噂のホテルリスボア(葡京酒店)。
中に入ってみると大理石を敷き詰めた内装は、かなりゴージャスである。 リスボアは高級カジノだったから入れなかったのかなと思い、先程の海上カジノに引き返してみても、同様に短パンは
受け入れないようだ。 逆に長パンであれば多少小汚くても問題ないみたいだ。
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「何てちっぽけな連中なんだ、マカオ人は!」 憎まれ口を叩いたところで、所詮は負け犬の遠吠えに過ぎない。
しかし「マカオからカジノを取ったら何が残るんだろう?」と甚だ疑問である。 町には石造りで西洋風の邸宅が多く見られ、パステル調の塗装が多く見受けられる。 何となくヨーロッパの田舎町という感じがしないでもない。 きっとポルトガルの風景もこんな感じなのだろうか? 思い返しても見ると同じような町並みを見たおぼえがある。 マレーシアのマラッカの町並みに似ている気がするのだ。 確かマラッカもマカオと同じく旧ポルトガル植民地であったはずだ。 高台に昔の砦(モンテの砦)があるということで住宅地の急な坂を上った。
住宅地のはずれの高台の頂上あたりに、寂れ具合が良い感じの砦が出現した。
砦といっても城壁だけで大したものは無かったのだが、砦の地下は「マカオ博物館」になっている。 マカオ博物館の展示内容は、中国の歴史やポルトガル領時代の教会の装飾品等で、他愛の無い物ばかりであった。
特設コーナーでは偶然にも「日帝支配下のマカオ」という展示であった。 とはいっても、展示内容は南京大虐殺や盧溝橋事件
等のものばかりで、マカオのマの字も出てこない。 展示タイトルは「日帝支配下の中国」とすべきではないかと思う。 砦のすぐ下には、かなり古めかしい門がそびえ立っている。
フェリーターミナルで入手した、マカオの観光ガイドの表紙を飾るこの門は、どうやらかなりの観光名所であるようだ。
(正式名は聖ポール天主堂跡というらしい)
門の下には大階段が続いており、観光客にとっては一大記念写真撮影スポットとなっている。
観光地にありがちな記念写真屋もうじゃうじゃよって来る。 目の前には、まっ黄色の教会が。 ここもどうやら有名な観光スポットのようである。
中に入ってみると、なかなか美しい内装の教会である。 2Fの宝物館もフリーで入れて、貧乏旅行者には嬉しい施設だ。 沢木耕太郎の「深夜特急」の中で、彼が選んだマカオの宿として、「ベラビスタ・ホテル」が紹介されていた。
観光目的が無くなったので私は、暇つぶしに、このホテルを捜すことにした。 岬の先端の、砦を改造したレストランを曲がり、
急な坂を登っていくと、そこには閑静な高級住宅街が立ち並んでいる。 まさに彼の記述とイメージぴったりの建物に辿り着いた私は、
表札を確かめてみました。 Consulate General of Portugual(ポルトガル領事館)とのこと。
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町並みは良かったが、いかんせんこれといった見所は少ない。 長期滞在者はまだしも、物見いさんのなんちゃって貧乏旅行者にとっては、
マカオという街はいささか刺激に欠ける気がする。 まぁ狭いマカオ、どこまで行ったとしても知れてる話だ。 半分開き直った私が着いた所は、やたらに賑やかな場所だった。
大きな建物が2つあり、片方から人の列が吹き出してきており、もう片方へ人の列が吸い込まれていく。 しばしの見学の後、「フェリーターミナル行き」のバスをようやく発見した。
ちなみにマカオのバスは一律2.5パタカ(2.5HK$)で極めてお得だ。 フェリーターミナルへ向うバスの車窓からは、夕闇迫るマカオの町が見渡せ、なかなか賑わいだ雰囲気だ。
昼間、あれ程閑散としていたのが嘘のようだ。 マカオ人は香港人以上に夜型人間なのかも知れない。 マカオフェリーターミナルには駅のキヨスク程度の大きさながら、一応免税店らしきものが存在する。 バレンタインデーでもあるまいし、毎回チョコレート(しかもマカオ産ならまだしも恐らくはオーストラリア産あたりであろう) を買って帰るのではあまりにも芸が無さすぎるので、 職場の同僚にはココナツのお菓子をチョイスした。 3箱で僅か12パタカ(HK$でも可)。 なかなかお買い得だ。 思い返せば、香港で口に入れたものは、マクドのハンバーガーと珍珠茶のみだ。 その地のものを食すというのが、 貧乏旅行者の王道だと思うのだが、私の場合は外道の食事となってしまった。 できれば本場のマカオ料理 (ポルトガル料理?)を食べたかったが、時既に遅しである。 香港→マカオのチケットは141HK$だったのに、逆のマカオ→香港は162HK$と不思議な料金体系だ。
(ひょっとしたら、出国税が絡んでいるのかも知れない・・・) 訝しがる私に彼は、「いやぁ〜。僕の場合、100HK$でチケットが手に入るルートがあってね。
正規料金で乗るとは君もかわいそうだな・・・ もっとも、君が僕と同じようなルートを見つけるのは至難の技だろうけどね。」
って、要するに自慢しかかったんか、このオッサンは! *********************************************** 南北飯店に辿り着いた時には既に8時を回っていた。
宿のインドネシア女性はにこやかに、私を迎えてくれた。 「飯は何処が美味しいの?」と聞くと、訝しげな顔で
「まだ、ご飯食べてないの?」と。 彼女に本日の宿代260HK$を払うと、食事へと夜の街に出かけた。 お腹パンパンになった私ではあったが、他の屋台も気になる。 少し歩くと、小さな土鍋を大量に火にかけている屋台が・・・
そう言えば、クアラルンプールのチャイナタウンの屋台でも同じような光景があったような。 お腹も満足したことだし、さらに町を北上してみる。 ネイザン通りを東側に渡ると、一層賑やかな街が。 ここが有名な「女人街」とのことである。 廟街に比べて若者が多く、ファッション系の店や屋台がもの凄い数である。 台北の「士林夜市」とややイメージがだぶる。 「華僑が作る繁華街は似てくるのかな?」 と妙な納得感を感じながらも、香港の夜を満喫する私だった・・・ |
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