マカオ(澳門)にてカジノ三昧?

※デジカメ画像を紛失したので、写真はありません m(_ _)m

 「南北酒店」で目を覚ますと、もう8時を回っている、日本時間だと既に9時を回っていることになる。  働いている同僚の姿を想像して、妙に優越感に浸ってしまう。
 朝食を探して、ジョーダンロードを東に歩くと「粥」の文字が。 ここは「郷に入れば郷に従う」ということで、 中国の伝統的な朝食にチャレンジすることにする。

 相変わらずの漢字の羅列であるが、
 「皮旦痩肉粥或柴魚花生粥」+「炒米粉或腸粉」+コーヒー
というセットを注文してみる。
 実は中華粥は初体験であるのだが、運ばれてきた粥は具沢山で日本の粥とはかなりイメージが違う。  口にしてみるとさらに違いは明白である。
 日本で粥というと病人食というか、塩味だけのあっさりとした味付けであるが、この中華粥は非常に出汁が効いている。  米粒も潰れていて、粥というよりも濃厚なスープを飲んでいる感じだ。

 恐らく、干し貝柱などでダシを取っているのだろう。 そう言えば、街中には乾燥魚介類を売る店が多数あり、 特に干し貝柱は日本産を売りにしているものが多い。 香港での日本のイメージは海産物国なのだろうか・・・
 もう一方の「粉」は円筒形の団子を炒めた感じ。 何となく韓国の餅であるトックを炒めたものを連想させる料理である。  コーヒーは案の定、飲めたしろものではなかったが・・・

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 朝食も終わったことだし、今日の目的地を考えてみる。  香港に来る前から、絶対に行こうと思っていた所、それはマカオ(澳門、Macau)である。
 私のアメリカ人の知人であるTOMという人が、「俺はマカオのカジノでウハウハに儲けてきたぞ!」と豪語していたこと が妙に頭にこびりついている。 また、沢木耕太郎の「深夜特急」の中で、筆者が博打にハマった記述も印象に残っている。
 まだまだ時間に余裕があるので、本日マカオ入りを決行しよう。

 香港とマカオ間にはジェットフォイルの高速フェリー(ターボジェット)が就航していて、一番便利な交通機関らしい。  マカオフェリーのターミナルへのアクセスは地下鉄の上環駅が一番近いとのことである。  早速地下鉄を乗り継いで、フェリーターミナルへ。  服装はTシャツと短パン、しかも手ぶらである。 少しマカオをなめすぎているも知れない。
 上環駅とフェリーターミナルは近いというよりも、マカオフェリーターミナルの地下に上環駅あるので、 乗り換えは確かに便利であった。 しかもフェリーターミナル想像以上に大きな建物である。

 エコノミークラスが145HK$で約45分の船旅である。  チケットを購入し搭乗ゲートをくぐる時に、後ろを振り返ってみると「おお!」
 そこには、旅行代理店がひしめき合い、エッチ系のポスターが所狭しと貼りたくられているではないか・・・  漢字から想像する内容は「往復船代+ホテル+女性の接待で1000HK$」って感じだろうか。  しかも多くの男性が群がり大盛況だ。 そういえば、全体的な客層も男性客が多いような・・・
 香港からのマカオ旅行(男性の場合)ってのは、あまり公言しない方が良いみたいだ。

 搭乗ゲートを超えてしばらく歩くと、イミグレーションが現れる。 97年に香港、99年にマカオがそれぞれ中国に返還 され、同じ国になったのだが、一国二制度の下に出入国は未だ外国扱いとなってる。 少し不思議な感じだ。

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 11時のフェリーに間に合ったので、正午ちょうどにマカオに到着予定だ。  船は飛行機のような雰囲気で、座席の前の網には飛行機のような「安全のしおり」やゲロ袋も差し込まれていた。  さすがにシートベルトの着用義務は無かったが・・・  外洋も穏やかであり乗り心地はなかなかのものだ。

 マカオ側のフェリーターミナルは、ちょっぴりさびれた田舎の駅って感じだが、なんとなくトロピカルな感じが悪くない。  鉄道の類は存在しないので、マカオ内の移動はバスかタクシーとなる。  タウンウォッチング派の私はとりあえずは歩いて町中に向うことにする。
 まず登場したのが、スーパー「ヤオハン」。 日本のスーパーながら、関西人の私としては初めて目にした店舗だ。  さすが旧ポルトガル領であっただけのことはあり、ポルトガルワインの品揃えは豊富だった。
 他に商店らしきものが全然ないため、昨日のスタバと同様に情けなくも、今日の昼飯はマクドのお世話になることになった。  しかし、ここのマクドはハーバービューで割と雰囲気は悪く無かった。
 海の上には竜宮城のような建物が。 恐らくカジノであろう。

 町中は閑散といよりも人っ子一人いない感じ。 香港同様に巨大なビルやホテルがそびえ立っているのだが、 何となく虚脱感を漂わせている。 しかもやたらと道路が広い、6車線くらいはあろうか。
 道路の途中に巨大なキノコのような物体がある。 どうやらここは公道を使ったレース場になっており、 巨大なキノコは貴賓席のようでした。 そう言えばマカオグランプリって名前をどこかで聞いたことがある。

 30分も歩いただろうか、金きらのちょっとレトロな不思議な建物が姿を現した。 これぞ噂のホテルリスボア(葡京酒店)。  中に入ってみると大理石を敷き詰めた内装は、かなりゴージャスである。
 世界の観光地には色々なランドマークはあるが、マカオ土産のパッケージを見ると、このホテルリスボアがマカオで最も 有名なランドマークと認識されているようだ。 まるで京都タワーのような、味気ないないマカオタワーなるものもあるが・・・
 このホテル内には、今回の最大の目的であるカジノがあるのだ。 はやる気持ちを押さえつつ、警備員のいる改札口を通過しようと すると、警備員は「No!」
 私の前後の人は何の問題もなく素通りしている。 入場料を払う雰囲気もない。  「何で?何で?俺が何をしたというの?」と警備員に詰め寄ると、彼は私の下半身を指差し「No Shorts!」と。
 インド人ばりに「No problem」で応戦したが、警備員は目がマジだ。 押し問答しているうちに警備員が増員されてくる。  何となくマズい、ここは泣く泣く退散するしかない。

 リスボアは高級カジノだったから入れなかったのかなと思い、先程の海上カジノに引き返してみても、同様に短パンは 受け入れないようだ。 逆に長パンであれば多少小汚くても問題ないみたいだ。
 折角マカオまで来て、短パンごときで泣き寝入りをするとは、全くもってトホホである。

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 「何てちっぽけな連中なんだ、マカオ人は!」 憎まれ口を叩いたところで、所詮は負け犬の遠吠えに過ぎない。  しかし「マカオからカジノを取ったら何が残るんだろう?」と甚だ疑問である。
 カジノの夢を断たれ虚脱感をを感じつつも、マカオの町並みを探索してみることにした。  リスボアからさらに進むと、旧ポルトガル領であったこともあり、香港とは異なった町並みである。  香港が時間に追われる場所であるならば、マカオはさしずめ、時間に取り残された場所とでも表現できようか。

 町には石造りで西洋風の邸宅が多く見られ、パステル調の塗装が多く見受けられる。  何となくヨーロッパの田舎町という感じがしないでもない。 きっとポルトガルの風景もこんな感じなのだろうか?  思い返しても見ると同じような町並みを見たおぼえがある。 マレーシアのマラッカの町並みに似ている気がするのだ。  確かマラッカもマカオと同じく旧ポルトガル植民地であったはずだ。

 高台に昔の砦(モンテの砦)があるということで住宅地の急な坂を上った。  住宅地のはずれの高台の頂上あたりに、寂れ具合が良い感じの砦が出現した。  砦といっても城壁だけで大したものは無かったのだが、砦の地下は「マカオ博物館」になっている。
 15パタカの入場料を払って、中に入ってみる。  パタカはマカオの通貨であり、香港ドルと等価である。 しかし、マカオでも実質的には香港ドルが流通している。  ただし、パタカを香港に持って帰っても使用不可なので注意が必要だ。  イギリスポンド(イングランドポンド)とスコットランドポンドの関係も同じようなものらしい。

 マカオ博物館の展示内容は、中国の歴史やポルトガル領時代の教会の装飾品等で、他愛の無い物ばかりであった。  特設コーナーでは偶然にも「日帝支配下のマカオ」という展示であった。 とはいっても、展示内容は南京大虐殺や盧溝橋事件 等のものばかりで、マカオのマの字も出てこない。 展示タイトルは「日帝支配下の中国」とすべきではないかと思う。
 子供向の展示や感想文を書かせるコーナーがあったりと、返還2年目にして、中国政府(江沢民政権)による反日プロパガンダは 着実に進行しているって感じである。 恐ろしい限りだ・・・

 砦のすぐ下には、かなり古めかしい門がそびえ立っている。 フェリーターミナルで入手した、マカオの観光ガイドの表紙を飾るこの門は、どうやらかなりの観光名所であるようだ。 (正式名は聖ポール天主堂跡というらしい)  門の下には大階段が続いており、観光客にとっては一大記念写真撮影スポットとなっている。  観光地にありがちな記念写真屋もうじゃうじゃよって来る。
 どうやらマカオでは選挙があるようで、大階段の下では選挙演説会が行われている。
 辺りはいつの間にか繁華街になっており、時間が止まったマカオが再び動き出したって感じを受ける。  喉が乾いたのでジュース屋に行くと、ここにもあった、台湾名物「珍珠茶」が。 香港ではあまり見かけなかったのだが、 マカオでは、いまだにトレンドグッズとして存在しているみたいだ。

 目の前には、まっ黄色の教会が。 ここもどうやら有名な観光スポットのようである。  中に入ってみると、なかなか美しい内装の教会である。 2Fの宝物館もフリーで入れて、貧乏旅行者には嬉しい施設だ。
 そういえば、どこの国でも、キリスト教系の建物で入場料を取られた覚えがない。  京都やバンコクの観光寺院ではしっかり入場料を取るのとは対照的だ・・・

 沢木耕太郎の「深夜特急」の中で、彼が選んだマカオの宿として、「ベラビスタ・ホテル」が紹介されていた。  観光目的が無くなったので私は、暇つぶしに、このホテルを捜すことにした。 岬の先端の、砦を改造したレストランを曲がり、 急な坂を登っていくと、そこには閑静な高級住宅街が立ち並んでいる。 まさに彼の記述とイメージぴったりの建物に辿り着いた私は、 表札を確かめてみました。 Consulate General of Portugual(ポルトガル領事館)とのこと。
 近くのホテルをのぞいて見たが、「リッツ・ホテル」と。 まさか本当のリッツではないだろうが、ベラビスタでないことは確かだ。
 一時間以上探し回ったものの、結局「ベラビスタホテル」を発見できずじまいでギブアップ。  きっと無くなってしまったのであろう。

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 町並みは良かったが、いかんせんこれといった見所は少ない。 長期滞在者はまだしも、物見いさんのなんちゃって貧乏旅行者にとっては、 マカオという街はいささか刺激に欠ける気がする。
 帰りのバスを探していると、「Porta」と行き先表示のバスが走ってくる。  ポルトガル語は読めないが「Porta」は「Port」に似ているから港、つまり「フェリーターミナル」かなと勝手に解釈して、 バスに飛び乗った。
 片側に海を見ながら、バスは順調にホテルリスボアまで到着すると、町中の方へ方向を変える。  きっと町中のバス停を巡回して、フェリーの乗客をピックアップしながら、フェリーターミナルに向かうのかなと、 勝手に解釈していたが、バスはどんどん海から離れていく。

 まぁ狭いマカオ、どこまで行ったとしても知れてる話だ。 半分開き直った私が着いた所は、やたらに賑やかな場所だった。  大きな建物が2つあり、片方から人の列が吹き出してきており、もう片方へ人の列が吸い込まれていく。
 そう、ここは「中華人民共和国珠海経済特区」との境界店(旧国境)。  「Porta」とは「Border」を意味するものだったのかも知れない。  しかし、怪我の巧妙ながら、滅多に来れない場所に着たのはラッキーであった。

 しばしの見学の後、「フェリーターミナル行き」のバスをようやく発見した。  ちなみにマカオのバスは一律2.5パタカ(2.5HK$)で極めてお得だ。
 珠海からきたと思われる、着飾った十代らしき女性が数人乗り込んできた。  ふと、香港側のフェリーターミナルで見た、「フェリーチケット、ホテル、女込みで1000HK$」の広告が目に浮かんできた。
 少女娼婦であろう彼女達には、全くもって悲壮感が漂っていない。 なんとなく複雑な感じ・・・

 フェリーターミナルへ向うバスの車窓からは、夕闇迫るマカオの町が見渡せ、なかなか賑わいだ雰囲気だ。  昼間、あれ程閑散としていたのが嘘のようだ。 マカオ人は香港人以上に夜型人間なのかも知れない。
 フェリーターミナル近くの寂れた建物も、夜を迎えてネオンぎらぎらの様相を呈している。  とりわけギラギラの古ぼけたビルには多くの人だかりがあり、中にはもちろんカジノとサウナがあるようだ。
 サウナは男性用の入り口と、女性用の入り口が別々になっており、男性用のメニューには「スペシャルコース」 と書かれているのが少し気になったが・・・

 マカオフェリーターミナルには駅のキヨスク程度の大きさながら、一応免税店らしきものが存在する。  バレンタインデーでもあるまいし、毎回チョコレート(しかもマカオ産ならまだしも恐らくはオーストラリア産あたりであろう) を買って帰るのではあまりにも芸が無さすぎるので、 職場の同僚にはココナツのお菓子をチョイスした。 3箱で僅か12パタカ(HK$でも可)。 なかなかお買い得だ。

 思い返せば、香港で口に入れたものは、マクドのハンバーガーと珍珠茶のみだ。 その地のものを食すというのが、 貧乏旅行者の王道だと思うのだが、私の場合は外道の食事となってしまった。 できれば本場のマカオ料理 (ポルトガル料理?)を食べたかったが、時既に遅しである。

 香港→マカオのチケットは141HK$だったのに、逆のマカオ→香港は162HK$と不思議な料金体系だ。 (ひょっとしたら、出国税が絡んでいるのかも知れない・・・)
 帰りのターボジェットは超満員だった。  と、隣のチューヤン似のお兄さんがチケットを見せろと言う。 胡散臭い彼を怪しみつつも、チケットを見せると、 彼は「ホー]と言って、何やら満足げな表情を浮かべる。

 訝しがる私に彼は、「いやぁ〜。僕の場合、100HK$でチケットが手に入るルートがあってね。  正規料金で乗るとは君もかわいそうだな・・・ もっとも、君が僕と同じようなルートを見つけるのは至難の技だろうけどね。」  って、要するに自慢しかかったんか、このオッサンは!
 「男の一人旅なのに、なんでホテルと女付きのパッケージチケットを買わなかったんだ?」と尋ねてくる。  「貧乏旅行者にH系は無用だ。」と答えても、彼には理解できないようだあった。
 彼は続けて、「ボクは香港で有名な家具屋の部長なんだけど、マカオの支店のマネージメントも任されている訳。  マカオ人は役立たずだから、毎月こうやって指導しにいかなくっちゃ駄目なんだ。 ホントだるいよねぇ〜!」
 折角熟睡しようと思っていた45分のクルーズは、彼の自慢大会と化し、より一層の疲労感が私を襲う。

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 南北飯店に辿り着いた時には既に8時を回っていた。  宿のインドネシア女性はにこやかに、私を迎えてくれた。 「飯は何処が美味しいの?」と聞くと、訝しげな顔で 「まだ、ご飯食べてないの?」と。
 マカオ旅行の顛末を説明し、彼女は納得するも、「残念ながら、私はこの辺りの地理は詳しくないのよ。」

 彼女に本日の宿代260HK$を払うと、食事へと夜の街に出かけた。
 ジョーダン通りを西に2〜3ブロック行って、北上すると、やたら賑やかな通りが出現した。  道路全体がオープンカフェ状態の屋台街である。 看板を見ると「廟街」、英語では「Temple Street」と呼ぶ道らしい。
 セブンイレブンで買ったカールスバーグを片手に、うろついていると、何やらかき揚のようなものが。  興味を持った私を、屋台の女主人は椅子に座らせるや否や、間髪入れずにかき揚が目の前に運ばれてきた。  巨大なかき揚が2切れ、しかも中には大ぶりの牡蠣がぎっしりと詰めこまれている。 これで30HK$は安いのだろうか?

 お腹パンパンになった私ではあったが、他の屋台も気になる。 少し歩くと、小さな土鍋を大量に火にかけている屋台が・・・  そう言えば、クアラルンプールのチャイナタウンの屋台でも同じような光景があったような。
 その時はマレーシア名物の「肉骨茶」という煮込料理で、メチャ旨かった記憶があるのだが、 こちらの屋台は、具が豚肉もしくは鶏肉だけの、シンプルな炊き込みご飯である。
 早速一杯いただくが、米は長粒米でどちらかと言うと、ピラフような食感である。 値段は20HK$だが、これも高いのか安いのか分からない微妙な値段だ。

 お腹も満足したことだし、さらに町を北上してみる。 ネイザン通りを東側に渡ると、一層賑やかな街が。  ここが有名な「女人街」とのことである。 廟街に比べて若者が多く、ファッション系の店や屋台がもの凄い数である。  台北の「士林夜市」とややイメージがだぶる。

 「華僑が作る繁華街は似てくるのかな?」 と妙な納得感を感じながらも、香港の夜を満喫する私だった・・・


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