バラナシにてガンガーを臨む

ドゥーン・エクスプレスは、ほぼ正午にバラナシ・カント駅に到着した。  バラナシ(Varanasi)は、ヒンドゥー経最大の聖地である。 かつては「ベナレス」と間違って発音されていたようだ。

リクシャーの値段交渉にも慣れてきた。
駅前にたむろするリキシャーワーラー(運転手)2、3人に声を掛け、言い値の相場を調査する。  そのうち、交渉しやすそうな相手に対して、言い値の半分を持ちかけてみる。 以降は交渉次第だ。  このような交渉で、10ルピーのサイクルリキシャーに乗り込み、市街中心部のロータリーに向かった。

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ロータリーから少し歩くと、急に視界が開け、ガンガー(ガンジス川)へと続く長い階段が出現した。
広大なガンガーの対岸には白い砂の河原が広がっている。 何て壮大な景色なんだろう。  景色が心に突き刺さって来るとはこのことだろうか、しばしその場所で絶句していた。

階段の両側には物乞いの列に、1パイサづつ施しをしていくと功徳を積むことになるらしいのだが、ここは宿を探すのが先決だ。
一旦河岸まで降りて右に曲がると、クミコハウス(久美子ハウス)はすぐに見つかった。  恰幅のいい日本人のおばさんが出てきた。 この人が主人の久美子さんだ。
ここでも、シングルルームは埋まっているが、ドミトリーは宿泊可能らしい。  1泊20ルピー(100円)で、しかも2食付とは魅力的だ。

ドミトリーに入ると、ニューデリーのウッパハールGHで出会った「恩人」に再会した。  開口一番、「ミッシングになったかと思って、心配しとってんでぇ!」 私は彼にバラナシに早朝到着すると伝えていたので、 到着の遅い私がトラブルに巻き込まれたのではと心配してくれていたようだ。

クミコハウスのドミトリーは宿泊客に比べてベッドが極端に少ない。 その少ないベッドも長期滞留者に占拠されているので、 私のような短期滞在者は、床で雑魚寝ということになる。
荷物の置き場と寝場所を確保し、ガンガー散策に繰り返した。

ガンガーの河岸は階段状になっており、多くの人が沐浴している。  階段に沿うように無数のゲストハウスが立ち並んでいて、バラナシは非常に大きな町であることが分かる。  一方対岸はというと、白い砂浜の向こうには林が広がっているだけで、住居らしきものは一切見当たらない。
何とも不思議な町の構造であるが、ヒンドゥー経最大の聖地と言われる所以かも知れない。
腹にはパスポート等の貴重品を入れているので、全身沐浴とまではいかないが、私も腰あたりまでガンガーに浸かってみる。  ヌルッとして濁った水ではあるが、冷たくて気持ちがいい。
階段を上ると、何組もの葬儀行列とすれ違う。 カラフルな布の覆われた棺を先頭に賑やかな行列が続く。
インドでは天寿を全うすることはめでたいことらしいので、葬式はある意味、お祝いなのかも知れない。

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クミコハウスに戻ると、夕食の支度が出来ていた。
小学校の給食のように、みんなでならんでお皿にごはんやおかずを盛っていく。  ドミトリーの部屋で車座になって食事を取るのだが、なんとなく似通った仲間でグループができる。  私のグループは、「恩人」と私、大阪芸術大学の女性2名、デザイナーの卵、電気通信大学の男性2名、 特徴はインドへの埋没度が小、関西人度が大という感じか。

「恩人」氏は約2ヶ月をかけてインドを回っており、特にマドラスの人情に感銘を受けたらしい。
現在フリーターで29歳の彼は、帰国すると沖縄でダイビングスクールのインストラクターとして働くと共に、 恋人と結婚する予定であるとのこと。
大阪芸術大学の女性2名は二人とも色白でふっくらしている。 彼女らが人混みを歩くと、すれ違う男性に、指で太股をツンツンと突かれるらしい。  最初は不思議に感じていただけ彼女らも、だんだん腹が立ってきたようだ。  報復としてインド人女性の太股を突いて欲しいと言われた。(もちろん断ったが・・)
デザイナーの卵のライフワークは、世界の売春街を巡る事らしい。(見学するだけでなく、実際の体験も含めて)  彼のヨーロッパの売春事情についてのレクチャーで盛り上がった。

まるで高校時代に友人とたむろしていた頃のように話が弾む。 こんな楽しい食事会は久しぶりの感じがする。  「恩人」の言うとおり、発展途上国を旅する日本人同士による、独特のコミュニティーというのがここにあるんだろうか。

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「オハヨウゴゼーマス」

宿の主人、すなわち久美子さんの夫の声が夜明け前のドミトリーに響き渡る。  彼に起こされるまでもなく、土の床から伝わってくる厳しい寒さに、既に目は覚めていた。
クミコハウスでガンガーを巡るボートを毎朝チャーターしており、彼は乗船希望者を募っているのである。  夜明け前にボートで川に漕ぎ出し、ガンガーに昇る朝日を見るのが、バラナシ最大の見所なのだ。

ガンガーは南北に流れ、バラナシ市街はその西岸にある。 巡礼者はガンガー越しに昇る朝日に向かって祈りを捧げることになる。  祈っている人々を川側から見物するのは、何とも失礼な気がするが、幻想的な風景にしばし見とれる。

ボートはガンガー河岸の火葬場前に停泊した。 積み上げられた薪の上に布に覆われた亡骸を置き、火を付ける。  ものの10分程度で鎮火したが、この火力で亡骸はちゃんと灰になるんだろうかと、少し心配になった。
印象的なのは火葬の後だ。 遺族は遺灰には目もくれず、早々に解散してしまう。  残された遺灰を、火葬場のスタッフがホウキで無造作にガンガーに掃き捨てている。
遺骨・遺灰に対する宗教観・国民性の違いを改めて実感した。

朝食後にデザイナーの卵と、大阪芸大の女子大生2名と一緒にサリー屋を見学することになった。  このあたりには監禁まがいの手法でサリーを押し売りする店が多数存在するらしいので、 比較的安心だというクミコハウスとの提携サリー屋を訪ねた。
旅先で綺麗な民族衣装を購入するのは、女性ならではの楽しみだなぁと、サリーを試着する彼女らを見てつくづく思った。  デザイナーの卵も、素材として使えるのではと、サリー生地を買い込んでいた。  自分用にサリーを買っても意味の無い私は、土産としてインドシルクのハンカチを数点買い込むことにした。

午後は、クミコハウスの屋上でガンガーを眺めて過ごした。  ここには長期滞在系の男性が溜まっており、旅の情報収集にはもってこいである。
情報によると、明後日から「ホーリー」というヒンドゥー経の祭りがあるらしい。  日本のお盆のようなものらしいのだが、「粉掛け祭り」という異名があり、お互いに色粉を掛け合う習慣がある。  祭りの時には無礼講がまかり通るもので、こと外国人は日頃のストレスのはけ口にされやすい。  特にバラナシのような観光地においては、この傾向は顕著で、昨年はクミコハウスも襲撃されたらしい。
(もっとも、腕力に勝る日本人が、襲撃者を返り討ちにしたらしいが・・・)
とにかく、明日にはバラナシを後にした方が無難というアドバイスに従うことにした。

彼らは少し危険な情報にも詳しかった。
ロータリー近くのカフェに「バングーラッシー」なる、緑色のラッシーが売られているらしい。  何故に緑色かと言うと、生のマリファナ(大麻草の葉)が入っているからである。  このバングーラッシーを初めて飲んだ人によると、1杯目では効き目が実感できなかったため、おかわりをした所、 カフェから宿までの15分程度の距離を歩くのに、半日を費やすことになったとのこと。
バングーラッシーに興味をそそられたが、明日の移動を考えてさすがにリスクを犯す気にはなれなかった。


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