ベンタン市場から宿への帰り道は、非常に足が重かった。
いっそ彼女が嘘つきで、待ち合わせをすっぽかしている方が気が楽である。 もし彼女が真剣に私を待っていたのに、裏切られたと思って
帰ってしまったのなら・・・
元来、妄想癖のある私の中で、彼女はどんどん美化され、悲劇のヒロイン話が出来上がっていく。
ブイビエン通りの一本東の路地を通り、やっとの思いで宿に辿り着いた。
宿の前にはバイクに乗った女性が一人。
「遅かったじゃない!」
「ユ、ユ、ユ、ユンちゃん?」
我が目を疑ったが、確かに彼女はそこにいた。
「もう! 探したんだから、あなたの宿を!」
昼間の話で、宿の名前を言っていたため、彼女は一生懸命私を探してくれたらしい。
聞けば、このブイビエン(フォングラーオ?、デタム?)の街には、年頃のベトナム人女性は出入りすることは、あまりよろしくないと
考えられているらしく、彼女にとってはかなりの冒険だったらしい。
いやはや、またしてもベトナム人女性にはやられてしまった。
近くのカフェに彼女を誘い、久しぶりにスイートな夜
(極めてプラトニックであるが・・・)を過ごすことができた。
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昨日は1時過ぎまで彼女と話込んでしまったが、幸せな起床だ。
ベトナム最後の夜にドラマチックな出会いが待ち受けていたなんて、美くし過ぎる思い出に顔はニヤケっぱなしだ。
このベトナムとも今日でお別れ、もっと長く居たかった。 でも、もっと居ると完全にはまってしまって、抜け出せないかもね。
最後にお気に入りのフランスパンを食べに行こうと、宿を出る。
流石の私にもこれ以上のサプライズが待ち構えているとは想像だにできなかった。
宿の前にはアオザイを着て微笑む彼女の姿が。
そう、彼女は大学の午前中の授業を休んで私を見送りにきてくれたのだ・・・
鮮やかな水色のアオザイが、さらに彼女を美しく彩る。
お別れの品と言って、彼女は自分が使っている日本語の教科書を私に差し出した。
「こんな大切なものは受け取れないよ。」 躊躇する私に彼女は、
「次に来る時までに、ベトナム語をしっかり勉強しておくのよ。 早く帰って来てね!」と無邪気に微笑む。
彼女は私を空港まで送ってくれるつもりだったらしいが、残念ながら遠慮させてもらった。
さすがにスーパーカブの後部座席で、バックパックを背負うのは大変だし、今日はシンカフェの乗り合いリムジンを
頼んでいたのだ。
乗り合いリムジンのシステムは、最初に誰かがリムジンを申し込み全額をシンカフェに払う。 シンカフェはこのリムジンの
情報を掲示板に貼りだし、1人目の同乗希望者はシンカフェに申し込み半分の金額、2人目の同乗希望者は1/3の金額・・・と、
すなわち、最終的な同乗者数に応じて、最初に申し込んだ人にキャッシュバックがあるというもの。
私には同乗者がいるため、キャンセルするとややこしいことになるのだ・・・
悲しくも、ここでユンちゃんとはお別れである。
乗り合いリムジン(ワンボックスカー)の相棒はカナダ人女性である。 2週間程度の旅らしいが、荷物は私の3倍以上はある。
バンコク行きの便はまたもや遅延しているようで、免税店で時間を潰す。
郵便局があって、切り絵の葉書やカードが1枚1000VDで売っていたので、残りのVDで購入する。 お土産には非常に手頃な値段&価格だ。
ベトナム航空の飛行機のプラモデルも売っていた。 購入したかったが、壊れ物を運ぶのは困難なので、泣く泣く断念する。
隣のゲートのベトナム航空機は全くの白塗りである。 燃料費節約のために塗装をしないという話を聞いたことがあるが、
ベトナム航空も経営が厳しいのかな・・・ 人件費は安いはずなのに、国営航空会社はどこも経営は下手なんだろうな。
適当な事を考えているうちに、我がタイ国際航空機(B737)が到着した。
離陸した機体は、ホーチミン市内上空を旋回するように上昇した。 まるで私にホーチミンでの甘い思い出を回想させるようだ。
(んな訳ないか・・・)
しかし、ここを再訪するのはいつになるのかな、ユンちゃんとは永遠の別れかな、などど感傷に浸ってしまう。 まるで、
逆ホームシックにかかってしまったかのようだ。
眼下に広がるメコンデルタの茶色い川の色にも、何故か懐かしさを感じてしまう。 極めて感受性に乏しい私にこんな思いを
させるなんて、ベトナム恐るべし。
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ホーチミンの空港からバンコクの空港に降り立つと、その違いの規模に驚かされる。
圧巻はずら〜っと並んだ入国ゲートの数だ。 面積だけで考えれば大きい空港は多々あれど、実際に賑わっている空港としては、
バンコクは世界有数では無かろうか。
さて、今夜の宿であるが・・・
バンコクで宿が集まっている地域は乱暴に分類すると以下の4つ
@スクムビット地区(比較的高級ホテルが多い)
Aシーロム/スリウォン地区(パッポン通りやタニア通りのゴーゴーバーで有名)
Bヤワラー地区(バンコク中央駅(ファランポン駅)近くのチャイナタウンにある安宿街)
Cカオサン(Khao Sarn Rd.)地区(超有名な安宿街、西洋人バックパッカーの聖地)
タイは3度目だが、何を隠そう、私はBのシーロム/スリウォン地区しか滞在したことが無い。
なんちゃって貧乏旅行者の化けの皮が剥がれてしまうのだが、今回は是非とも安宿街を攻略し、名実ともに?
真のバックパッカーに飛躍せねばなるまい。
@スクムビット地区は貧乏旅行のコンセプトから外れるので、貧乏旅行の大道としてはBかCである。
日本人バックパッカー連中はBのヤワラー地区に多いらしく、かつてはジュライというホテルが有名だったらしい。
今回の私は西洋人バックパッカーの雰囲気を味わうノリで、最もメジャーなカオサンに滞在することにした。
カオサンはチャオプラヤ川の近くであり、タイ王室であるエメラルド寺院や、タイ式マッサージと涅槃仏で有名な
ワット・ポーにも便利な場所である。
空港から市内までのルートは複数考えられる。 タクシーは論外だが、鉄道、リムジンバス、路線バスの三択である。
公共交通機関派の私のポリシーとしては、鉄道か路線バスが好ましいが、鉄道の場合はファランポンには便利だが、
カオサンには不便とのことだ。 ここはベトナムと同じく、路線バスに挑戦しよう。
空港と隣接する鉄道駅の間に大きな幹線道路が通っている。 路線バスのバス停はこの幹線道路の路肩にある。
空港と駅の間の陸橋に上ってすぐにある秘密の扉を開くと、バス停のところまで出られるようになっている。
(バス停は空港側の路肩にあるので、陸橋は渡ってはいけない。)
バス停に着いたものの、次から次へと来るバスにはミミズの這ったようなタイ文字しか書かれておらず、
どこに行くのかさっぱり分からない。
隣に立っている初老の軍人に世間話をしててみた。
「ここ、空気悪いですね。」
「そうなんだ。ところで、君は日本人か?」
思いがけず、タイ人にしては流暢な英語が帰ってきた。
「実はカオサンに行きたいですけど、字が読めなくて。」
「じゃあ、私についてきなさい。」
彼は60歳近くの空軍将校とのことである。 背丈は160cm無いと思われるが、ピンと張った背筋は威厳を感じさせる。
大学近くのバス停で乗り換えた後、1時間以上かけてカオサンに到着した。 彼は恐らく遠回りをしてくれて、
しかも私のバス代までも支払ってくれた。 何のお仕着せもなく、涼しい顔で親切をする。 タイ人の優しさは距離感が心地良い。
カオサンに来る前はスラム街のような安宿街を想像していたのであるが、意外にもカフェが立ち並ぶ繁華街であった。
宿もドミトリーから中級ホテルまで幅広い客層に対応している。
ホーチミンのデタムと大きく異なるのは、普通にタイ人の若者が闊歩している点である。 聞くところによると、タイの若者にとって、
カオサンはお洒落スポットとして認識されているらしい。 大阪でいうとアメリカ村という感じか・・・
東南アジアのバックパッカーのゲートウェイシティであるためか、ベトナムやネパール、インドなどの各地の土産物屋が数多くある。
「カオサンの客は目が肥えているから、ボッタクリ店は少ない」という噂を聞いたが、確かに全般的に廉価な価格設定だ。
数件の比較的小奇麗な宿を確認したところ、シングルルームは400バーツから500バーツくらい。 1バーツは約3円くらいなので、
1200円〜1500円といったところか。
とりあえず、キャパが大きく、入退館がしっかりしていそうだったので、D&D INNという宿を選択した。
入ってみると、部屋は狭く、病院のようなベッドはくつろげそうにない。 さらには壁が薄いのか、周りの部屋の物音や、
カオサン通りの喧騒が五月蝿いのなんの・・・ 昨日の6US$の宿よりもクオリティが落ちるではないか。
安宿の物価に関してはバンコクはホーチミンの2倍強といったことろか。
宿も決まったところで、早速カオサンのグルメ探訪に繰り出した。 カオサンロード沿いにはバッタイ(タイ風焼きそば)の屋台が目立つ。
タイの屋台というと青パパイヤサラダを連想するのだが、カオサンではあまりポピュラーなメニューではないようだ。
フォーのような麺料理を出す屋台があったので、一杯注文してみる。 米の麺だが、フォーよりもビーフンに近い。
スープはフォーに比べてスパイシーな味だ。 薬味もタイらしく、粉唐辛子と砂糖、ナンプラーのセットである。
改めてベトナムからタイに来たことを再認識させられる。
カオサンを出て周辺の街も探索してみる。 日本には珍しいイスラエル料理の店もあった。 そういえば、先程、D&Dのエレベータで
遭った女性バックパッカーの一団はイスラエル人だと言っていた。 街を歩く人にもユダヤ教の帽子をかぶっている人がいる。
イスラエルとタイの不思議な関係に首を傾げるのであった。
カオサンから2本北の道に、日本人らしい客で賑わっている屋台があった。 覗いてみると白いお粥に生卵と葱をトッピングしている。
早速トライしてみるが、米粒の形が残った正真正銘の日本風お粥であった。 味付けもシンプルな塩味だ。
個人的には中華粥の方が好きなのだが、旅先で思いもかけず出会った日本の味はなかなか美味かった。
お粥のお供に、近所のコンビニでビールを購入する。 日本では、タイビール=シンハーというイメージが強いが、
実際には象のラベルのチャンビールが安くて人気のようであるので、ビンのチャンビールを購入してみる。
タイ航空の機内で飲んだ、缶のチャンビールはあまり美味しくなかったが、ビンのやつはなかなかいける。(保存状態の影響か?)
しかし、数年前にタイに来たときには、チャンビールなんて影も形も無かったのだが、急速に普及したのだろうか?
一方で昔飲んで美味しかった、クロスタービールはどこを探しても売っていなかった。
ビールの世界にも栄枯盛衰があるのだなと考えさせられる。
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