アンコールワット
旅のスタイルや嗜好は人それぞれであり、どの観光地を見に行っても自由ではある。
しかし、シェムリアップに訪れているのに、アンコールワットに行かないというのは、相当の酔狂者であろう。
それだけ、カンボジア観光におけるアンコールワットの象徴性は大きい。
そもそも、カンボジア国旗のデザイン自体がアンコールワットなのだから・・・
タケオゲストハウスの1階に早朝5時に集合すると、アンコールワット観光のバイタクやトゥクトゥクの一日チャーターを受け付けている。
バイタクの場合は流しを捕まえても料金は変わらないかも知れないが、希望者が2人いれば、タケオではトゥクトゥクのシェアを仲介してくれる。
バイタク1人で乗るよりもトゥクトゥクに2人の方が料金が安いし、肉体的にはかなり楽である。
2人とも行き先に特段拘らない人であれば、トゥクトゥクのシェアが理にかなっている。
ちなみに、カンボジアのトゥクトゥクは、タイのような軽ワゴンタイプのものとは違って、
バイクの後ろに2人乗り(横並び)の座席が付いているタイプである。 むしろインドのオートリクシャーに近いか・・・
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東京から来た大学生とトゥクトゥクをシェアした。 2人で8ドル。 彼は3日券を購入して、ゆっくりと遺跡を回る予定だったようだが、
1日観光の私に合わせて、今日一日で遺跡のダイジェストを見て回るルートに付き合ってくれる。
運転手は登録制になっており、専用のベストを着用することが義務付けられている。
ここカンボジアでは、白タク運転手に対する罰則は厳しいらしい。
観光客がトラブルに遭わないようとする、カンボジア政府の熱意が感じられる。
シヴァタ通りを北に向かい高速道路の料金所のような場所で停車する。 ここが、アンコール遺跡群への入場ゲートである。
1日券は20ドル、3日券は40ドル、7日券は60ドルである。 カンボジアの物価からすると決して安い価格ではないのだが、
この金は遺跡保存のために使われているということで、まぁ納得。
堀に囲まれた大きな城壁のようなものが現れる。 いよいよアンコールワット(Angkor Wat)に到着だ。
アンコールワットの背後の朝日を見るのが定番のコースであり、運ちゃんに「Sunrise」と頼んだら間違いなくここに連れてきてくれる。
暗闇の中に薄っすらと3本の尖塔が見えてきた。
「おお! アンコールワットだ!」
テレビや写真で見慣れているアンコールワットを、実物で見た第一印象は、このような表現しかできない。
タージマハールを見た時も同じような印象だった思いがあるが、あまりにも有名な景色を見る時には同じような印象になるのだろう。
雲行きは怪しいながらも、幸いにして雲の合間から、朝日が顔をのぞかしてくれた。
多くの西洋人観光客が朝日を静かに眺めている横で、若い日本人女性2人が大声ではしゃぎまくっている。
心無い一部のせいで、日本人旅行客全体のイメージが低下するのは悲しいことだ。
世界遺産として指定されているのは、アンコールワットだけでなく、周辺の遺跡を含めた「アンコール遺跡群」である。
少し北にはアンコールワットよりも数段大きな、アンコールトム(Angkor Thom)という城壁に囲まれた遺跡群がある。
寺院の数では、こちらの方がアンコールワットを上回っている。
アンコールトムの中心には「宇宙の中心」ことバイヨン(Bayon)がそびえている。 石材の崩れ具合が何とも素敵な遺跡だ。
日本の遺跡だと、近づいたり、触ったりすることは禁じられるところだが、
アンコール遺跡群は実際に遺跡の中に入って体感することが可能だ。
バイヨンの柱には、大きな人の顔が多数彫りこまれている。
同じような顔はアンコールトムの城門にも彫りこまれていることから、アンコールトム共通のシンボルなのだろう。
近くにバイヨン修復の記念館があり、日本のチームによってバイヨンが修復された過程が展示されている。
「目に見える援助」というのは、やはり日本人として誇らしいものだ。
バイヨンの近くにあるバプーオン(Baphuon)遺跡では、フランスのチームによる修復作業を実際に見ることができる。
他にもピラミッド状のピミアナカス(Phimeanakas)遺跡や、象のテラスと呼ばれる遺跡が集中している。
朝から何も食べていないので、バイヨン近くの屋台で少し早いランチを取ることにする。
「うちのチキンサンドイッチは絶品よ」という声に釣られて一軒の屋台に入る。
出てきたのは、バゲットに肉汁たっぷりの鳥そぼろが入った逸品。 こいつが何気に旨い。
恐らく、これがカンボジアで食べた最高の食事となった。
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トゥクトゥクの運転手が、「アンコール遺跡で一番美しい所に連れて行ってあげましょう。」と言ってきた。
詳しい説明を聞くと、細密彫刻で有名なバンテアイスレイ(Banteay Srei)という遺跡に連れて行こうとしている。
バンテアイスレイは距離にして30キロ、時間にして1時間あまり離れているため、
基本料金(8ドル)の観光コースには含まれておらず、倍額の16ドルが必要とのこと。
一人あたり4ドル余計に払うだけなのでケチることはないという気になり、ついつい彼の話に乗ってしまう。
さすがは百戦錬磨のシェムリの運転手、かなり商売上手である。
激しい悪路、そして睡魔と闘いながら、バンテアイスレイに到着した。
結論から言うと、大した遺跡ではない。 アンコールワットやアンコールトムが圧倒的な規模感で迫ってくるのに対して、
バンテアイスレイの細密彫刻は、いかにも小技である。
もちろん時間に余裕のある人が行くぶんには構わないのだが、時間の限られた旅行者にとっては、
余程の遺跡好きでない限り3時間近い時間を費やすのは勿体無い気がする。
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アンコールトム近くに戻ってきた時点で、既に3時を回っている。 日没までにどれだけ遺跡を回れるだろうか。
タプローム(Taprohm)遺跡に寄る。
ここは森に飲み込まれつつある遺跡という表現がピッタリだ。 あちらこちらで大木が遺跡を侵食している。
恐らくは、他のアンコール遺跡群も発見時には、このような状況だったことだろう。
森の中を探検中に眠れる遺跡が出てきたなんて光景は、何ともロマンチックだなと妄想にふける。
タケウ(Ta Keo)を回ると主要な遺跡は大体押さえたことになる。
タケウは激しく切り立った遺跡であるが、上の方まで登ることが可能である。
両手両足をで這うように鋭角的な壁をよじ登ると、なかなかの絶景となる。
遺跡の女性スタッフは、毎日この壁をよじ登っているとのことだ。
仕事とは言え可哀相に・・・
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さてと、本日のクライマックスであるアンコールワットの夕景を見に行こうと・・・
すると、いきなり激しいスコールが襲ってきた。 雨は一向に収まる気配がない。
アンコールワットの夕景を見るには小高い丘に登る必要があるが、運転手によると、この天気では危険とのこと。
仮に危険を冒して丘に登ったとしても、何も見えないであろう。
サンセット見学を泣く泣く諦め、代わりにアンコールワット内部を見学することにする。
アンコールワットは回廊に取り囲まれた形になっており、回廊には壁画が描かれている。
大量の韓国人団体客が回廊を占拠し、独特のキムチ臭を放っている。
アンコールワットもかなり上の方まで登ることができる。 雨に濡れた壁面をよじ登るのはかなり恐怖感が伴うが、
アンコールワットを登るという滅多に無いチャンスを逃す訳にはいかない。
「アンコールワットへは若いうちに行け(肉体的な意味で)」
オリジナル教訓が一つ出来上がり・・・
直下から眺めるアンコールワットの尖塔は、遠景とはかなり趣が違う。 ここまで近いとあまり感動もない。
やはり観光名所には、最適なビューポイントがあるんだと改めて思う。
日没後にこの急斜面を下るのは、いささか危険なので、早々にアンコールワットを引き上げることにする。
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日没後もかろうじて薄明かりが残っているので、運転手に無理を言って地雷博物館
に連れて行ってもらうことにした。
ここはアキラ氏というカンボジア人によって運営されている、個人の博物館である。
長い内戦の中で埋めれた対人地雷によって、いまだに子供たちの犠牲が後を絶たない。
ここシェムリアップは、ほんの10年前には一面の地雷原だったのだ。
この博物館では、除去された地雷や地雷原の再現などの展示を通して、対人地雷の愚かさを教えてくれる。
アキラ氏のご厚意により入場無料となっているが、寄付をするか土産物を購入するのがマナーである。
バスが乗りつけ韓国人団体客が闖入してきた。 「今でも地雷を製造、保有している国々」の展示で、
韓国がブラックリストに載っているのを見て、何故だか彼らは笑っている。 買い物も寄付もせずに、彼らは去っていった。
まぁ、いいんだけれども・・・ 何だかな・・・
土産物のオリジナルTシャツを物色していると、赤ちゃんのような声がする。
土産物の中から赤ちゃん猿が登場した。 こいつがめちゃめちゃ可愛い。
運転手への最後のわがままで、キリングフィールドに寄ってもらう。
ガラス張りの祠の中に、ポルポト時代に粛清された人々の白骨が整然と並んでいる。
ただただ、冥福を祈るのみだ。
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タケオゲストハウスに戻って、夕飯をいただく。 一番人気のメニューである、鶏から揚げ定食とアンコールビール。
ほとんど日本の食堂と相違ない。
タケオの食堂は、多くの日本人の若者によって占められている。 彼らの雰囲気はバックパッカーとは明らかに違う。
日本の街に滞留しているフリーターやニートが、そのままシェムリアップにやってきたという感じだ。
日本の親としては「自分探しの旅に出ている」と、体裁の良い厄介払いとなっているのだろうけど、
彼らを押しつけられるカンボジア社会にとっては、いい迷惑だなと思う。
ルアンパバーンで出会ったバックパッカー氏が言っていた、
「シェムリにたむろしている日本のガキどもには、ガッカリさせられるよ。」という意味が何となく分かった気がした。
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